夏は夜がよい。ということで、昔の話をしようか。昔の話というのはそれ自体ちょっとしたホラーだからね。それをネットに公開するんだ。もしかしたら検索サイトやどこかのSNSとかを経由し、昔、どこかで僕と接点があった物好きな人がここまで辿り着いて見ているかもしれない。それもホラーといえばホラーかもしれない。でも、それは文章を投稿した僕よりも見ている側のほうがホラーだろうな、と経験上思う。
僕がインターネットに初めて触れたのが、1999年だった。どんな年だった? まさか生まれてないとか言うんじゃないだろうな。シャレにならないからね。今すぐヤフーに戻った方がいい。
インターネットをするきっかけになったのは友人宅で体験し、ゲームの攻略情報がインターネットなら無料で得られることに深く感銘したことだったが、そのゲームは『こみっくパーティー』というアダルトゲームだったので、エロサイトを見るためににネットを始めた人とあまり変わらない。
こみっくパーティーが発売されたのが99年の5月だから、僕がインターネットを始めたのは6月ぐらいだったと思う。8月の終わりにはホームページビルダーで作った拙いホームページを公開したのを覚えている。ヨドバシカメラでホームページビルダーを学割で買ったんだ。
インターネットは楽しかったよ。勿論、今も楽しいけど。今でこそ僕もネットで実名もありなのかなと思っているし、実際にGoogle+では一応実名で登録しているけど、昔は怖かった。大したことはない、誰も俺の名前なんて検索しないだろうし、しても同姓同名がいるんだから、わかってはいるけれど、怖かった。それはその頃に自分が吸っていたネットの空気が実名に対する忌避感に満ちていたというのもあるんだが、やはり自身が若くて痛かったというのが大きい。自分は世界で一番恥ずかしいマスターベーションを晒しているんだという意識に支配されながら好き勝手やり、都合よく恥らっていた。
twitterやブログで若い人が全力で痛いこと、毒々しいことを吐いてるのを見ると昔の自分を見ているようで懐かしさとむず痒さがあるし、言動が行き過ぎたことから大勢に叩かれてコミュニティから立ち去らざるを得なくなるシーンに遭遇すると胸が詰まる。というのは、綺麗事で、本当はゲラゲラと笑いながら見てるあたり自分は今でも痛いままなのだが、それも含めて、インターネットの魅力というのは、素を演じる事ができるところではないだろうか。
僕の実名の下に投稿された文章は、規定する立場というものによって捉え方が大きく変えられてしまうのかもしれない。あなたの中の私のイメージとそこからのギャップによって、コメディにも悲劇にも映るのかもしれない。でも、それが確かに僕なのだ。嘘偽り虚栄の類が紛れているかもしれないけれど、それもまた素を演じているものなのだろう。
僕が言いたいのは、僕を理解してくれ、ということではなくて、魅力的なあなたを理解するためのヒントをもっと出しておくれ、ということだ。姿の見えないあなたを知って、モニターに映る惨めな自分の姿をちょっとだけスマートに演出することができる。それがネットの楽しさなのだから。
とても怖いことだし、それで後悔したこともあったけど、それでも僕はあなたのことが知りたい。