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読んで遊んで沈んだ記憶

主に日記です。

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たまこまーけっと 最終回 今年もまた暮れてった (アニメ)



なくしたかと思われたメダルをたまこに差し出したのは、デラの国の王子・メチャだった。
心優しい王子の登場に、すっかり盛り上がってしまう商店街の人達。どの店も臨時休業になる。しかしその光景を見たたまこはある出来事を思い出し、ひどく動揺してしまう。

年は変わっていくけれど、ちっとも変わらぬものもある。それは夜目には見えないが、心で見れば見えるもの


とうとう最終回。
たまこは王子様のお妃様として異国に行くことを拒む。
これは、この作品の最初から、たまこが商店街そのものを擬人化した存在として描かれていたことから考えれば、予想通りの結末ではあるのだけど、あまりにも意外性がなく、盛り上がりに欠けたまま締めくくられたので、拍子抜けをしてしまった。だが、その「やっぱり」と思いながらも、ちょっぴり胸を撫で下ろす感覚を、「視聴者」という外からの視点を強く意識しながら、あえて狙ってやっているのが『たまこまーけっと』の安定した面白さともいえる。

たまこは王子様と結ばれることはなかったが、我々は真の王子様がもち蔵であることを、彼の本名が大路もち蔵で、彼の家が経営する店の名前が「ROCECAKE Oh!ZEE」というメタ情報から知っている。

もち蔵がたまこに想いを寄せているのは散々描写されてきたので誰の目にも明らかだが、当のたまこ本人にまるっきり関心がなく、結果としてもち蔵の一人相撲が続き、色々な人の思惑が絡む中、ただ一人、変わらずに天真爛漫でい続けるたまこという存在による安心感がこの作品の妙であり、『たまこまーけっと』という作品の魅力なのだろう。

しかし、作品からあからさまに発せられるメタ情報や、やたら思わせぶりなタイトルと次回予告を受け取ってきた身としては、制作サイドとしてはもっと描き込みたかったのではないか、他に伝えたいことがあったのではないかと穿った見方をしてしまうのである。
全体を通して、ほのぼのとした良い雰囲気であった一方で、とても淡白で、一度描いたものを消しゴムで無理に消したような不自然さ、ぼんやりしたものがあったと思う。そして、その点でアニメファンとしての視聴者である自分が責められているような感じがして、見ていて、もやもやさせられる作品だった。

たまこまーけっと 第11話 まさかあの娘がプリンセス (アニメ)



チョイから「あなたが王子のお妃様です」と告げられたたまこ。
突然のことに驚く商店街の人達。だがたまこ本人は、集めていたポイントカードが目標枚数に到達する事の方が気になっていた。

変わりたくない変わりたい。人の心は裏腹で。背中合わせの思いを抱え、どっこい、明日を生きていく


「女の子」が憧れそうなお姫様というシチュエーションをメタフィクションとして利用していて、実際に王子様が迎えにくる時のお姫様役と周囲の反応を大真面目に捉えて描写した回になっていた。

特殊なシチュエーションであることで、何重もの意味を「王子のお妃」に込めており、たまこがお妃様になることはめでたいと喜んで送り出そうとする人たち、たまことの別れを受け入れられずに悩む人たち、商店街の人も、友人も、父親も、葛藤を繰り返し続けていて、それが少し重くて、切ないのだが、どこか如何にも作り物の劇のようにわざとらしくて、滑稽でもあった。

次回はいよいよ最終話とのことだが、たまこは結局、商店街に残るのだろう。この作品の主人公であり、プリンセスであるたまこ本人が、自分がそうであることを受け入れていない、だからこそ、たまこは魅力的で主人公に選ばれているのが『たまこまーけっと』であり、王子様の存在と、プリンセスとしての主人公(女性)役を拒否して、商店街と父親の元に残り、主人公らしくない主人公でいることで周りを安心させて和ませ続けることを選択してくれるのだと思う。
幸い、たまこがあくまでお妃様候補の一人であるように、たまこにもまだもち蔵という王子様候補が用意されている。だが、たまこの存在が投げかけるメッセージは、あるいは、そこに込められた思いは、実はとても怖いものなのかもしれない。

たまこまーけっと 第10話 あの子のバトンに花が咲く (アニメ)



文化祭。バトン部は、ステージ発表のくじ引きで一番注目される時間帯を引き当てる。
良いステージにしたいと、俄然張り切る部員たち。部長であるみどりは曲と振り付けを引き受けるが、みどりはなかなか良いアイデアが浮かばずにいた。

空も心も揚々と、いざ幕開き、晴れ舞台。バトン娘が踊り出す


たまこ達バトン部が文化祭でのステージ発表に備える。そういえば、たまこ達はバトン部でしたね。
部長のみどりちゃんが振り付けを引き受けるが、なかなか良いアイディアが浮かばない。誰にも相談できず、責任感とプライドから自分を追い詰めてしまうみどり。そして、そんな彼女を労り、優しく包み込んでくれる温かい友情。

みどりの姿が、不器用でまだ世界が狭い等身大の10代をうまく映していて、その不格好さが分かる人には分かるという絶妙な描かれ方にはなっていたのではないだろうか。ゆるい部活ライフと人の温もりをどこまでも信じてみた作りという点では、『けいおん』によく似ていると思った。
この密度の低さとベタな感情とドラマの組み合わせ、その中の無数の行間に何を感じ取れるか、何かを自分で作り出すことができるかが、所謂「日常系」というものを楽しむコツなのかもしれない。

話のほうは、やっぱりたまこが王子のお妃だとなっていて、次回以降はこのネタで本格的にバタバタしてきそう。ラブコメをかなり意識した作品なので、最後はたまこが異国にお嫁に行くところをもち蔵が体を張って止めて男らしさを見せたりするんだろうか。

たまこまーけっと 第9話 歌っちゃうんだ、恋の歌 (アニメ)



友達のユズキくんが転校してしまう寂しさから、元気をなくしてしまうあんこ。
たまこともち蔵は、あんこにあるアドバイスをする。
そんな中、たまこが口ずさんでいた「お母さんの歌」の手がかりが!?

エブリバディ・ラブズ・サムバディ。誰かが誰かを好きになる。いつか誰でも恋をする。
僕が君を見つけたように


あんこの片思いの相手が転校してしまう切ない回。初恋の儚さを歌っているわけだが、一方で、たまこ達の父親と母親の馴れ初めの学生時代をあんこの、あるいはたまこともち蔵の姿に重ねることで若者の恋愛に対して大いにエールを送る作りになっていた。

自分たちの親もいつか通ってきた道、でも、自分たちだけの特別な道。ベタな話の作り方ながら、異なるエピソードをうまく重ね合わせることで、含みを持たせた描写にして、見ている側の想像力に働かきかけてくるところはうまい。

たまこまーけっと 第8話 ニワトリだとは言わせねぇ (アニメ)



秋。デラのために巣箱を作ってあげるかんな。しかしデラは太り続けていたため、作った巣箱のサイズに合わなくなっていた。
良い機会だからとダイエットを始めさせられるデラだったが、ダイエットは想像以上の過酷さを秘めていた。

季節は巡って、空気は高く澄んでいく。人情ぬくいよ、ほっこりと。
心は染まるよ、紅葉色


デラちゃんダイエットをするの巻。コメディ一辺倒に振り切った回で、たまこ達のほのぼのとした世界の中で若さが思い切り弾けており、明るく楽しい話になっていた。

デラが痩せるという商店街との別れを暗に示すような要素で話を盛り上げつつ、一方では、チョイをたまこ達の側でより受容するという二つの相反する未来を示唆しながら伏線を張っている。
うさぎ山商店街もデラの故郷の南国もどちらもおとぎ話のような夢の国として表現されており、二つの違う夢の国の住人が交わった時、うさぎ山商店街の存在がフィクションであり、ジョークであることが鮮明にされ、これらは夢物語ですよと強く訴えかけられる。

たまこまーけっと 第7話 あの子がお嫁に行っちゃった (アニメ)



デラの故郷で鳥占官を勤めるお付きがたまこの家にやって来る。
だらしなく太ったデラを見て憤慨し、理由を尋ねるお付き。「餅がおいしくて食べ過ぎた」とは言えないデラは、思わず心にも無い嘘をついてしまう。

あの娘がお嫁に行こうとも、やっぱり豆腐は四角くて。四角いからこそ豆腐だよ


新キャラとしてデラ(鳥)の故郷で占いをやっているというお付きのチョイが登場。はじめはうさぎ山商店街に警戒を示す彼女だったが、商店街の温かさに包まれていくうちに態度を軟化させていくという大きなサイクルはこれまで通り。

エピソードのテーマとしては失恋になっており、豆腐屋の男が風呂屋の娘に恋をしていたが、その風呂屋の娘は別の男と結婚するという話になっている。その豆腐屋の男と風呂屋の娘の姿をもち蔵とたまこの姿に重ねたうえで、実はたまこがデラの故郷の王子の后ではないかというまさかの展開を匂わせていた。チョイは王子の事が実は好きなようなので、その場合はチョイも失恋してしまうことになる。

若干、迷走しだした感もあるが、これをどうまとめてくるのか、期待したい。

たまこまーけっと 第6話 俺の背筋も凍ったぜ (アニメ)



夏休み。暑い日が続いているため、商店街はいつもより人足が少ない。
たまこはお客さんを呼び込むため「商店街でお化け屋敷をやりたい」と提案する。
お化け屋敷制作を頑張るたまこ達だったが、商店街では不思議な現象が次々と起こり始める。

すったもんだの大騒ぎ。終わりよければすべてよし。今は眠るよ、ひたすらに


ほのぼの回。商店街を盛り上げようとたまこ達仲良しグループはお化け屋敷を企画する。学生の作る精一杯の「お化け屋敷」という空間と、それに合わせたかのように起きる怪奇現象に本気で大騒ぎする商店街の人達。そして、お化け屋敷に本気で怖がる担任の先生。

高校生の作るお化け屋敷だし、子ども騙しのクオリティでもあるのだろうが、決して馬鹿にせず、本気で向き合い、作り手に最大の敬意を表する周囲の人々の温かさ。メタ的に、このアニメの目指すものとそれに対する寛容さを求めているようなメッセージが発せられている作りになっているのが面白かった。洗練されたプロの技術が生み出す精一杯の手作り感覚のアニメ、それがたまこまーけっとなのかもしれません。

たまこまーけっと 第5話 一夜を共に過ごしたぜ (アニメ)



夏。たまこ達は臨海学校に行くことに。
泳げないたまこは、みどり達とプールで練習をして海に備える。
一方、もち蔵はデラの強引な提案でたまこに思いを伝えることに・・・・・・。

恋の花火に、心の花火。真夏の夜の夢、色付く想い。はかなく散ってしまわぬように


臨海学校の回。ラブコメの回。もち蔵がたまこに自分の想いを告白しようとするが、そこにみどりちゃんが立ちはだかる。
たまこまーけっとはラブコメが描きたいのかな? 主人公のたまこが色恋に興味ない天真爛漫な存在だから、アプローチがもち蔵からに限ってしまい、視点と感情描写が偏っていくうちに、主人公のたまこの影が薄くなり、気づいたらこの作品のほのぼのとしたいい雰囲気が損なわれてしまっていたように感じた。

思わせぶりなタイトルもそうなんだけど、そこにたまこの意思とか視点とかがほとんど存在しておらず、たまこというキャラを持て余しているような作品の作り方に疑問を抱いた。

たまこまーけっと 第4話 小さな恋、咲いちゃった (アニメ)



5月。うさぎ山神社でのお祭りの日が近づき、賑わいを見せる商店街。
準備で盛り上がるたまこ達をよそに、あまり乗り気ではない様子のあんこ。
どうやら、お祭りよりも大事なことがあるようで・・・・・・?

思い願いが叶わずも、思い通りに行かずとも、別の道は別の花。新たな花が咲いている


今回のエピソードの主役は主人公たまこの妹であるあんこ。小学生の彼女にスポットライトが当てられている。
どうもあんこの場合は、お餅(家であるとか商店街・集団などの伝統)が素朴に大好きなたまこと違って、なんで自分の家がお餅屋であるのか、自分が家の手伝いをしないといけないのか、ということに少なからず疑問と不満を抱いているようだ。それは、「普通」とは違うことへの年頃の恥ずかしさでもあり、前回の史織とのエピソードで出た、うさぎ山商店街の外と内での世界の違いをより突っ込んだ形で描かれている。もしかしたら、たまこが幼い頃通ってきたかもしれない道をあんこというキャラクターを通して表現しているところもあるのかもしれない。

いずれにせよ、あまりに無邪気で明るすぎるたまこに比べて、喜怒哀楽を豊かに表現するあんこは魅力的にストーリーを演出していた。彼女の子どもながらの恋が描かれている。今までの回で感じていた少女漫画風の雰囲気を一気に出してみたところがあって、思い切ったベタな恋愛話を、子ども(小学生)だからという設定と、爽やかイケメンの男の子の方ではなくて、おとなしめのちょっとオタク風の男の子の方に片思いさせてみたから、というオチをつけて赦しを乞うているようなところに、男性視聴者に対する過剰なまでの配慮が窺え、その男の子(視聴者)への繊細な気配りが、家や商店街に縛られながらも笑わなければならないあんこをメタ的に見てしまって、それが話を切なく彩っていたし、恋のお相手の真相のオチが非常にエッジの効いたものとして演出されていたと思う。

たまこまーけっと 第3話 クールなあの子にあっちっち (アニメ)



春、新学期。2年生になったたまこは、バドミントン部の朝霧史織と同じクラスになる。
たまこと史織は、部活中によく会うもののほとんど話したことがなかった。
史織に一目惚れしたデラは、史織をたまこの家に連れて来てしまう。

言葉は時にむずかしい。言葉は時にもどかしい。伝えたい思いはいつも空回り。
だけどいつか届くはず


春、2年生になったたまこ達仲良し3人組はクラス替えでみどりちゃんだけ別のクラスになってしまう。前回の話で、まさかのたまこに対して同性愛疑惑が生まれたあのみどりちゃんです。本人も複雑な表情をちょっと見せて、思わせぶりに演出する。これは一体……。

新しいクラスで朝霧史織という子と知り合うたまこ。どうやら史織は感情表現がうまくないようで、いつも一人ぼっち。話しかけてくれたたまこ達をも避けてしまう。そんな彼女だが、鳥(デラ)と出会い、彼に惚れられ、うさぎ山商店街を共に歩くことになり、そこで多くの人からの温かい歓迎を受ける。たまこの家でも厚いもてなしを受け、共働き?で自分を見てくれない両親とうさぎ山商店街の温かさが対比的に描かれ、やがて、彼女はたまこ達に対して心を開いていく。

なんだか、ベタベタな昭和礼賛的というか、ここまで見事に商店街的なネットワークを無邪気に持ち上げている、その正しさを全く疑わない、そんな3丁目の夕日的なノリが、見ていてとてもむず痒くなってくる。だが、テーマが非常にわかりやすくなったぶん、娯楽性は高くなっており、そのむず痒さも娯楽としての「楽しい」ということなのだろうと思う。今まではシーン毎のギャグの切れ味が鈍く、ボケとツッコミに思い切りがないから、オチの弱さを残念に思っていたが、今回はそのむず痒さでついついにんまりしてしまって、しょうもないギャグでも「良い」と思ってしまった。恐るべし、たまこまーけっと。

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