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読んで遊んで沈んだ記憶

主に日記です。

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孤独のグルメ (漫画 久住昌之 谷口ジロー)

孤独のグルメ 【新装版】孤独のグルメ 【新装版】

学生時代は一人で飯を食うということはこの集団の社会の中ではとてもまずいことではないかと考えていた。今思えばあの強迫観念はなんなのだろう。あの種の強迫に追いかけられながら我々は生き続けなければならないのだろうか。

孤独のグルメは、個人で輸入雑貨商を営んでいる中年の主人公が、一人でふらりと入った店で飯を食う、その日常の中の食事のシーンを切り取った作品である。
自由気ままが性に合うと云いながら、どこか後ろ姿が寂しくて、侘しさのある主人公は、孤独を愛するというよりも、コミュニケーションが疲れやすいのか得意ではなくて、社会からはみ出された存在のようで、そんな彼が気になったものを注文し、気ままに食う。食って、豊かに満たされていく。口で会話をしなくとも、食事とその空間のあらゆる存在に対して五感をフルに使って独自のコミュニケーションを試みる彼の感性の豊かさが、一人で平凡に飯を食うことの楽しさであり可笑しさを詩的に伝えている。

「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……」

誰でも、自分なりの楽しい食事の仕方というのはあって、それが多人数の団欒の場であっても、きっとそこにはその場にいる人の数だけ「孤独のグルメ」が存在するのだろう。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[16] フランケンシュタイン (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (16) フランケンシュタイン

『フランケンシュタイン』『地獄の人形葬』『リアルウンコノオモイデ』の3編が収録されている。

『フランケンシュタイン』は、意外とその内容を知られていない『フランケンシュタイン』を基本的には原作に忠実に漫画化しながらも、ところどころに伊藤潤二流のアレンジを加えたものになっている。醜い容貌によって人間に迫害された人造人間と創造主(神になった人間)とのやりとりが明確なメッセージ性を発しながら描かれていた。女性へ幻想と現実とのギャップを残酷に見せつけて、人造人間をより怪物化させていくところは著者らしくて良かった。聖者も怪物も生まれるものではなく、作られるものである。というような作品。

『地獄の人形葬』は、世界の子どもの30%が人形化してしまう世界の話で、親は子どもが人形になっても我が子を大事にしようとするが、その人形がやがておぞましい異形の姿になっていき、とうとう葬ることを決めるというオチになっている。親あるいは近代社会によって管理された子どもの姿を人形に喩えて風刺したような作品。

『リアルウンコノオモイデ』は、とぐろを巻いた如何にもなおもちゃうんこではなく、一本糞が2つ重なったタイプのリアルな形をしたウンコのおもちゃに興味を示す少年の話で、少年が恥ずかしい思いをしながらも勇気を振り絞ってそのおもちゃを買い、それを使っていたずらなどをするが、時とともにそのおもちゃはどこかへいき、ウンコですらも懐かしい思い出になっていくという話。

『地獄の人形葬』と『リアルウンコノオモイデ』は数ページほどの作品で、ページのほとんどが『フランケンシュタイン』で占められて構成されている一冊だった。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[15] 死びとの恋わずらい (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (15)

『死びとの恋わずらい』と銘打たれたシリーズの全4話が収録されている。登場人物と設定を引き継ぎながら1話ごとに起承転結を繰り返して、やがて物語の全体が見えてくる手法が採用されている。

頻繁に濃い霧が発生する町で行われる辻占い。道行く人に唐突に占ってもらう方法だが、四つ辻の美少年という不思議な少年が現れてから町は不穏な空気に包まれる。その美少年に出会った女性はその妖しい魅力に取り憑かれてしまい、彼から与えられた「悩みに対する答え」に支配され、やがて死に追いやられていく。青春物語を下敷きにしたオカルトホラー。

如何にも伊藤潤二テイストのオカルト要素をふんだんに使いながら話が彩られており、死神とも云える美少年の謎に迫っていくサスペンス的な雰囲気が魅力的なシリーズだった。後半に話が進められ、登場人物の数が増えて、真相に近づくほどに徐々にトーンダウンしていき、世界はあくまで狭く、所詮はコップの中の嵐であるということを貫いた醒めた作りも面白い。占いなんて所詮はそんなものという著者なりの寓話的な作りになっているのかもしれない。

エンターテイメント作品としてはやや盛り上げ方が足らず、伏線を活かしきれていない点により、折角の4話構成なのに冗長さと淡白なところを感じたのが残念だった。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[14] トンネル奇譚 (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (14)

『長い夢』『トンネル奇譚』『銅像』『浮遊物』『白砂村血譚』の5編が収録されている。全て1997年に発表された作品とのこと。

『長い夢』は、一夜の眠りの中で見る夢の長さが1日、1ヶ月、1年と加速度的に長くなっていく存在の話で、やがて夢の長さに精神と肉体が耐え切れずに風化していってしまう。果たして、その存在にとってこちら側と向こう側、どちらが夢で、どちらが現実だったのか。現実の辛さから逃避するために夢の世界に住んだまま生を終えても良いのではないかという提案もなされていた。

『トンネル奇譚』は、不思議なトンネルに引きずり込まれる者達の話で、ベタな田舎色の怪奇譚に、宇宙線研究所などのSF要素が織り交ぜられている。

『銅像』は、今は年を取って醜くなった女性が、若いころの自分の姿の銅像を作り、そこに様々な仕掛けをして、自分を侮辱する人間を始末していく話。やがて、本当の美と幸せは永遠の若さである『像』にしかないと、彼女自身が像になることを決めるが……。失われても尚、若さと美に執着することでしか生きていけない女性の哀しさと恐怖が表現されている。寓話的でもあった。

『浮遊物』は、人から本音と本音を再生する機能を持って吐き出された黒くなったケサランパサランのような浮遊物が巻き起こす騒動で、青春の甘酸っぱい男女のやりとりを三角関係的に描きながらロマンティックに締めてくれている。

『白砂村血譚』は、住民が全員貧血気味で青白い村の診療所に医者としてやってきた主人公が体験する恐怖。実は村人は村そのものに血を吸い取られていたのだった。閉鎖的な村により、人々の活気等が失われていくことを暗喩したかのようなホラー話だった。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[13] サーカスが来た (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (13)

『サーカスが来た』『墓標の町』『隣の窓』『怪奇ひきずり兄弟・次女の恋人』『怪奇ひきずり兄弟・降霊会』の5編が収録されている。

『サーカスが来た』は、いなかの小さい町にやってきたサーカスに町中は大はしゃぎ。しかし、多くの見物客を集めたサーカスで披露されたショーは、危険な芸に挑んだ団員達が次々と失敗して死んでいくものだった。実は死神の団長が世にも美しい娘を餌にして町中の男を団員として集めては別の町に移動し、男たちを殺戮する公開ショーとして楽しんでいた。ハーメルンの笛吹き男のようなタイプの話に仕上げられている。

『墓標の町』は、死んだ場所で死体がそのまま墓標になるという町で起こる奇妙な出来事が描かれている。人間が死んだら自然に石になるというのは、短い時間で遥かに長い時を経るような風であり、それを想像すると、その世界では成仏できない人間は尋常ではないほどの狂気と憎しみと苦しみにのたうち回り、凄まじい負のエネルギーを発するというのも納得いくもので、それが、唐突ともいえる展開による哀しい結末に説得力をもたせている。

『隣の窓』は、引越して来た先で、隣の家の窓を通して不気味な女に悩まされる男の話。中年による若者への執着の不気味さを、ありがちな男と女の関係を転倒させ、中年女性に迫られる若い男というシチュエーションを用いて訴えかけてくるホラー。

『怪奇ひきずり兄弟・次女の恋人』は、容姿が醜く不気味な引摺家で、唯一美人である次女が家出をして、男と同棲をするが、家族によって引き戻される。人の命をなんとも思わないその一家は、次女と同棲していた男をどう殺そうかという話し合いで盛り上がる。そして、次女も見た目は違っていても性根は引摺家で……。という話で、著者の漫画の場合、容姿が不気味な人間は病んでいるか性根が腐っている場合が多いが、見た目が良くても人の性根は腐っていますよと読者である我々に釘を刺したような一本になっている。

『怪奇ひきずり兄弟・降霊会』は、またまた引摺家が登場する話で、引摺家の長男が恋をした相手が心霊写真を撮るが好きだということから、亡くなった引摺家の子どもたちの両親に対して降霊会が開かれるという話。しかし、長男と同じ相手に恋をした次男によって降霊会は「インチキ降霊会」に変えられてしまって……。一家の長たる長男がその権威をなくしたら、何もできない男としてしおらしくするしかないところが、対照的に威張り散らすようになる次男とうまく比較されており、人は権威と環境によって完全に作られている道化人形であるとしてギャグテイストに描かれていた。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[12] いじめっ娘 (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (12)

『いじめっ娘』『脱走兵のいる家』『父の心』『記憶』『路地裏』『シナリオどおりの恋』『土の中』の7編が収録されている。

表題作になっている『いじめっ娘』は、ふとしたきっかけからいじめ行為をした主人公の女性がそれに快感を覚え、顔を歪ませながらずっとその行為に耽り続ける様が綴られており、幼少期の自分は大人になっても変えられなかったと、また醜い少女に戻りゆく様が表現されている。あるいは、いじめられっ子がいじめられる自分の性質を巧みに利用して人間を被っている綺麗な皮を剥いで復讐劇を成し遂げた結末でもあった。

『脱走兵のいる家』は戦争期を舞台にした話。脱走してきた友人を匿ったことから家族を失った者達の復讐劇で、戦争が終わってもその友人には戦争は終わってない虚構の世界だけをずっと見せ続け、食事の時以外は蔵の中に閉じ込めておくのだが、実はその友人はとっくの昔に自殺しており、道化を演じていたのは、そして、本当の恐怖は……というオチになっている。

『父の心』は、一大で財を築き上げた一家の長たる父親が幼い頃に全く遊べなかった抑圧の反動からくる感情と自分の子ども時代と今の子どもとの対比に耐えられず、とうとう自分の魂で子どもたちの体を乗っ取っていくことになるのだが、結果的に子どもたちと家族、そして自分自身をを死と不幸に追いやっていくという話で、家族における「支配」と「病理」の闇が示唆されていたように感じた。

『記憶』は、美しい容姿の女性が、本当の自分はこんなに美しくないのではないかと不安になり、自分の中で失われている記憶と隠された真実を求めていく話で、衝撃的な事実が突きつけられるが、自分の美しい容姿が本物であるという事の前では些細なことであったという、女性の美への執着の恐ろしさが表現されていた。

『路地裏』は、下宿先で奇妙な声にうなされるようになった主人公が、その謎を解き明かしていく話で、死んだ者達の怨念による加害者へのわかりやすい因果応報の作りになっている。

『シナリオどおりの恋』は、アマチュア劇団に所属する役者の女性主人公が女たらしの脚本家と恋をするが、結局弄ばれる格好で振られ、その現実が受け入れられずに、彼を刺してしまう。キザな彼は自分の事が恋しくなったらと自分の映したビデオと会話用の台本を別れの際に彼女に渡しており、彼女は彼を刺した後にそのビデオを再生するが、あまりにもよく出来たそのビデオの内容と台本に彼女はその世界に入り込んでしまう。瀕死の彼は彼女に助けを乞うが、彼女はビデオの中の彼こそ永久に自分のものであり、決して裏切らない「本物の彼」であるとして、瀕死の彼に止めを刺してしまう。
1989年に発表された作品とのことだが、多くの人が生身の人間との付き合いよりもバーチャルな世界との関係を選ぶようになった現代を予見したような素晴らしいサスペンスホラーだった。

『土の中』は、中学の同窓会で20年前に埋めたタイムカプセルを掘り起こす話が、中学当時にいた不気味な同級生とクラスメイトがみんなして彼女に浴びせた罵倒のエピソードと共に綴られる。そして、タイムカプセルの中には20年前の「思い出」と彼女の恨みが詰められていたという結末になっており、屈辱は時が流れても屈辱としてその存在には永遠に残り続ける、ある種の人間のみっともなさであり、失くしてはいけない自尊心のようでもあり、人であるために人をやめるというところの怖さが印象に残った。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[11] 道のない街 (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (11)

『道のない街』『異常接近!』『地図の街』『サイレンの村』『超自然転校生』の5編が収録されている。

表題作になっている『道のない街』は、奇妙な出来事からプライバシーのない生活を余儀なくされた主人公が道のない街に迷い込むという話。
仮面をつけ、自分の全てを隠すことでしか自身の尊厳を守れない息苦しさ、そして、そんな他人の仮面の下に隠された素顔を好奇心のままに覗こうとする人たちのむき出しの狂気が渦巻く街で、何も隠さず一糸まとわぬ姿で全て見せる境地に立った一人の女性との出会いを通し、自分のプライバシーは極端に守ろうとするのに他人のプライバシーはどんな手を使ってでも暴こうとする情報社会(未来)の荒廃した人間模様を示唆しながら、隠すもののない存在の強さと明るさとそして味気なさと、そこの側にもある狂気とを対比させていた。

『異常接近!』は、飛行機の墜落事故を通した怪奇ファンタジーで、幻を見せることで、人が死ぬことの重大さや恐ろしさ、人の持っている思いや念などの見えないものの力について考えさせてくれる作品。

『地図の街』は、地図・案内だらけの街に他所から来た男女が、地図がないと何も出来ない街の人々を出しぬいて隠されていた財宝を手に入れるが、町の人々に追われ、地図を破壊しながら逃げていくうちに、やがて自分たちも地図がないと迷ってばかりで目的の場所までたどり着くことが出来ない人間になってしまうという話で、『道のない街』のように、情報化が進み、ナビゲーションが発達し過ぎると、地図のない場所で生きていけない脆弱な人間になってしまう、あるいは、複雑化した社会の中では、わかりやすい案内がないと人は安心して生きていくことができないということを暗示していたように感じた。

『サイレンの村』は、サイレンを聞くと悪魔化してしまう村人たちの姿を描いた話で、日本の田舎の村を舞台にしているが、西洋系のファンタジー色が強い。ゲームのSIRENシリーズのような設定で、わかりやすいエンターテイメントホラーのテイストになっていた。

『超自然転校生』は、一人の奇妙な転校生によって様々な怪奇現象が起きるという話で、青春群像劇っぽい匂いを漂わせながら超能力バトルなんかが行われたりする。本当の超能力を得たから幸せになれたかというとそうでもないところが皮肉的で、著者の作品らしいともいえるが、特別な力を持ちたいという男たちの体を張った生き様に哀愁が漂っていて、そこが良質な青春の物語として成り立っているのだ。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[10] あやつり屋敷 (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (10)

『アイスクリームバス』『仲間の家』『煙草会』『中古レコード』『睡魔の部屋』『贈る人』『あやつり屋敷』の7編が収録されている。短編は全て独立したもので、それぞれの話に関連性はない。
全体的に、風刺を織り込みながらうまく都市伝説がつくられているが、中には、ぐだぐだな展開を話の背景にこだわることで誤魔化しているような印象のエピソードも見られた。

表題作の『あやつり屋敷』は、人形劇を生業にしてきた一家の話で、「人形が操つられているのではなく、実際は人形が遣い手を操っている」という哲学を基に、自身があやつり人形になりきってしまうケースが紹介される。
人形と人形の遣い手、両者は本当に自身の意思で動き、動かしているのか、読者の恐怖と混乱を誘いながら、しかし、人形であることに頼りすぎて、そのことに疑問を抱かずにいると、自身がやがて本当の人形になってしまって自分の足で歩くこともままならなくなるという風刺が利いたエピソードになっていた。シリアスでグロテスクな『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』のような感じの作品。
本作が面白くて考えさせてくれるのは、人形を操る側も実は「人形」だったという点だろう。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[9] 首幻想 (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (9)

『首幻想』『生霊の沼』『ペンフレンド』『侵入者』『押切異談』『押切異談・壁』の6編が収録されている。共通しているのは全て主人公が押切トオルという男子高校生に設定されており、彼が体験する怪奇エピソードになっているという点。
異次元のパラレルワールドが存在するというのが鍵になっていて、そこから主人公のいる世界にやってくるもう一人の自分という侵入者の脅威が大袈裟に描写されている。

「押切トオル」自体はごく普通の学生なのに、無限ともいえるほどに存在するもう一人の自分が、少なくとも作品内で登場する限りはどれも凶悪な性格なのは、わざわざ次元を飛び越えて侵入してくるほどなのだから、それぐらい攻撃的であるということもあるのだろうが、ポイントは主人公のコンプレックスにあることが作中で示唆されている。主人公は背が低いことがコンプレックスだった。異世界からの凶暴な侵入者はそのコンプレックスと、募らせた被害妄想を尖鋭化させた存在であり、自分という存在の可能性への追及であるということが伝わってきた。
多重人格をテーマにした『ペンフレンド』というエピソードも考える材料になる。追い詰められた時に、逃避からもう一人の自分を作り出すが、その存在が自分をより追い詰めていくという話で、このもう一つの人格が異次元の世界からの侵入者であるという見方も出来る。

伊藤潤二恐怖マンガCollection[8] 血玉樹 (漫画 伊藤潤二)


伊藤潤二恐怖マンガCollection (8)

『血玉樹』『耐え難い迷路』『リ・アニメーターの剣』『遺書』『橋』『悪魔の理論』『相部屋』が収録されている。今回の恐怖マンガCollectionは宗教であるとか死体蘇生といったオカルトテイストを強めた要素を世界観そのものに濃く反映させた物語が多く、身近な恐怖というよりは、異世界での冒険譚における怪奇エピソードを読んでいるような感覚にさせられた。

表題作の『血玉樹』は、吸血鬼伝説を日本に持ってきて、作者風にアレンジしたような話。

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