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読んで遊んで沈んだ記憶

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愛国者は信用できるか (鈴木邦男)

愛国者は信用できるか (講談社現代新書)愛国者は信用できるか (講談社現代新書)

「言挙げしない」。それが日本人のよさであり美徳だった。それに「優しさ」「謙虚」「寛容」だ。これが日本精神であり、国を愛する心だった。ところがこの美徳を忘れ、傲慢で偏狭、押し付けがましい「愛国者」が急に増えた。「自分こそ愛国者だ」「いや俺の方こそ愛国者だ」と絶叫し、少しでも考え方が違うと「反日だ!」「非国民だ!」と決めつけ排除する。
 しかしこうした者たちこそが日本の美徳を踏みにじり、最も「反日的」ではないのか。
 そんな疑問、思いからこの本を書き始めた。「愛国者」の勘違いを教えてやろう。にわか愛国者、アマチュア愛国者、オタク愛国者に、本当の愛国心を教えてやろう。そう思ってこの本を引き受けた。「そうですよ。愛国運動四十年。愛国心なら何でも分かるでしょう」と名編集者の岡部ひとみさんに煽られた。「この本を欠けるのは鈴木さんしかいませんよ」と言われた。「そんなことありませんよ」と謙遜しながらも心中、「そうだろう」と思った。よし、「プロの愛国者」、「日本一の愛国者」の真髄、本領を見せつけてやろうと思った。
 ところが書き始めて後悔した。愛国心は諸刃の剣だ。これからが本当の愛国心だと言挙げしているうちに、その刃は自分にも向かってくる。「お前だって偽物だ」「形や量だけにこだわった薄っぺらな愛国心ではないのか」と問いつめてくる。愛国心を最も誤解していたのは自分かもしれない。愕然とした。それだけ「愛国心」は難しい。「愛国者」になることも難しい。そのことだけでも分かってもらえればいいか。

(引用 本書P193-194)


誰よりも愛国心があると自負する新右翼の大物とやらが問う「愛国心」。
右翼活動をずっとやってきた経験から先輩であり年寄りという立場で、保守化しているといわれている「若者」に対して、ニワカとかアマチュアとかオタクとか言いたいことを言っているわけだが、著者も若い頃は自身が揶揄するような右翼だったと宣言しており、その頃への自省からネットに蔓延る攻撃的排外的保守や愛国心を強制しようと考える人達に対して警鐘を鳴らしている。

著者の懸念はよくわかるのだが、如何せん著者のいう寛容さというのが選別された相手にしか適用されていないので、ネット保守などに対する分析と推察がほとんどないままに侮蔑したレッテルが適当に貼られているのと、「愛国心」というマジックワードを巧みに利用し、日本の本来である昔は寛容で謙虛だったなどと昔を美化して現在を卑下し、素朴な感情に訴えるやり方がどうしても気になる。

しかし、著者はこれらをあえて自覚的にやっている。言葉遊び的で、「愛国者の品格」といった題の方がふさわしいのではないかという内容になったのは、それに対する批判の作業をする過程で自身のことを見なおしてもらいたいという思いが込められていることが読み手に伝わってくる。

ただ、たとえそれがどんなに寛容で正しいとされる形をとられていても、愛国心に本物か偽物かを峻別して自分が本物であるという立場から必然的に相手を紛い物としてしまう批判のほうが偏狭なナショナリズムとやらよりもよほど攻撃的で排他的になっているケースがある。
ネット上に散見する本物のリベラル、本物のフェミニズム、本物のオタクとはなんぞやといった議論にも通ずる違和感ではあるのだが、著者はこの言葉遊びについてはもう少し考えた方が良いとは思った。
日本は美しい、言霊の国なのだから。

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