ヒカルの碁 1 (集英社文庫 お 55-8)小学6年生の進藤ヒカルは、蔵で古い碁盤を見つける。その瞬間、平安時代の天才棋士、藤原佐為が現れた。囲碁を愛する佐為に動かされてヒカルは囲碁教室に通い始める。しかし初心者の少年が佐為の実力で打つ手は、行く先々で混乱を呼ぶ。勝負を通して成長する少年達の物語。TVアニメも大ヒットし囲碁ブームを巻き起こした名作!!
(引用 amazon ヒカルの碁 1 (集英社文庫 お 55-8))自分にとって何度読んでいてもまた時間が経つとふと読みたくなる時が巡ってくる漫画の一つが、ヒカルの碁です。
囲碁を知らなくても違和感なく世界に入り込んでいける作りはやはり見事。
劇画的な硬派で厳しい勝負の世界を少年漫画のノリで押し切っていくのですが、そのノリがすごく丁寧に計算された上に設計されていて、囲碁という一般人には馴染みの薄いシニア色のイメージを逆手にとり、ドラマに品の良さと緻密さを醸すことで上質なものに仕上げられています。
ヒカルの碁のどんなところが好きかというのは、自分にとってはやはり佐為の存在によるところが大きいです。
この佐為という圧倒的な存在と主人公が有する秘められた才能を重ね、並立させることで、作中の登場人物を大いに混乱させてくれる。
これが如何にも少年漫画な主人公をとてもミステリアスで面白い存在に仕立てていて、佐為と進藤ヒカルの素性(囲碁の実力)を明かそうと登場人物が躍起になるところが読んでいてニヤニヤできてしまうところがすごく楽しい。
しかし、佐為の存在とヒカルの成長物語がうまく融合されているところに魅力を感じていたので、佐為が消えてしまう展開はいつかは来る運命と分かりつつもやはり悲しかったし、その後の作品自体の出来を考えるとため息をつかざるをえません。
佐為が消えてしまった後のヒカルの碁も面白いといえば面白いのですが、ヒカルの存在感が弱くなり、周囲に溶け込みすぎていて神秘めいた存在感が失われてしまっていたし、リアル路線・俯瞰した世界を意識したのかストーリーより説明を重視するかのような堅苦しさと窮屈感のある展開になってしまったことが残念でした。
いつしか漫画というよりはそれこそ本物の囲碁のように読み進めるのに忍耐力を要するようになっていき、躍動感とドラマ性を失ってしまったと思います。
自分にとってヒカルの碁が好きだというピークが来たのが佐為と塔矢名人のネット碁での真剣勝負のエピソードで、あのあたりのsaiという謎めいた存在やヒカルと佐為の二つの存在の使い分けと重なり方がやっぱりよかった。
強い佐為を追いかけてヒカルに辿りつく、ヒカルに執着することで、新しいヒカルに出会う。また強い佐為が絶妙なタイミングで現れて周りによるヒカルへの追いかけが始まる。
このパターンが承認要求を満たすかのような愉悦を与えてくれるし、佐為の出現タイミングが絶妙なだけに、佐為と強敵との戦いは自分の中でヒカルの勝負以上に熱く盛り上がり、強いカタルシスをもたらしてくれていた。
読みなおすたびに思ってしまいます。佐為よ、ふたたび。ヒカルの碁よ、ふたたび。