なんと言われようとオレ流さ やれ研修会だ、実習訓練だと、今はサラリーマン世界も手取り足取りらしいが、野球界もご多分にもれず、みんな自分の野球をやっていない。
たとえ、俗に言う管理野球の中にあっても、自分の個性を売ることはできるのに、誰もそれをしようとしていない。
というのは、リトルリーグからはじまり、甲子園、大学野球と、いわゆる名門コースを歩んでプロ入りするのが常識になって、「管理されるほうがいいんだ!」と、みんなが頭から信じ込んでいる。最初からプロ意識を持とうなどという気はないようだ。
オレの場合、野球人生そのものが遅くはじまった。しかも、食っていくためにはじめたから、あえて”我”を通し続けている。そういう意味では、今の野球界でいちばんオレが自分を大事にしてるんじゃないだろうか。
(引用 本書P13-14)自分にとって史上最高の四番打者といえば今でも落合博満である。もしかしたら死ぬまで落合博満かもしれない。
現役時代は史上初めての3度の三冠王に輝く落合だが、本書は2度目の三冠王に輝いた昭和60年のシーズンの後に出版された本で、落合博満の全盛期といっていいかもしれない現役時に綴られた貴重なものになっている。
プロ野球は団体の職業ではなく個人の職業であることを押し出すべきと主張する著者の高いプロ意識による考えは非常にユニークで、またユニークであるからこそプロなのであり、そういう意味で子供と学生以外はプロであるべきだと書かれている。
野球といえば体育会系の軍隊式というイメージで企業もその組織主義的な管理野球論を取り入れているところがあるようだが、著者自身はそういうのが嫌いで我を通し続けてきたと野球部退部や何もせずフラフラしてプロボウラーを目指そうと思った時期など野球選手としては異色な経歴のエピソードが面白い。
著者のユニークな理論と実践の説明に説得力を与えているのはプロ野球の世界で叩き出した優れた結果によってであるが、なるほどやはり天才は違うもんだなと思わせるだけの興味深い経歴が落合博満という世紀の大打者の魅力であり、本書の内容を肉付けしている。
バッテイング技術についてなどの野球理論や、また、著者が独身の頃のプライベートはだらしがないというか奔放で、妻の信子さんがいなければ家では何もできないという告白も面白い。落合信子というと豪快なカカアというイメージだが、実際はかなり古風な女性のようで、著者は常に味方としてサポートしてくれる妻信子さんへの愛情と感謝の念が溢れんばかりにこめられているのも微笑ましくて面白かった。
野球で失敗してもどうにか食うだけは食っていけるさ、という縛られない前向きな考えが眩しい成功者の本だが、その眩しさが読むものに元気を与えてくれる。落合博満というプロの魅力が詰められた一冊になっている。