ねぼけ人生 (ちくま文庫) 僕は、子供の時、軍人にあこがれていた。それは、勇ましいからだったが、勇ましいというのは、他人がやっているのを鑑賞している時の気分で、自分が参加すると、勇ましいというより怖いものなのだ。自分が、いやでも参加させられる年齢が近づき、しかも、もはや絵描きになるつもりになってしまうと、軍人や戦争や、まして戦死なんかは、うとましいばかりだった。
ところが、新聞や雑誌では、文化人や有名人といった連中が、若者は国のために戦争で死ぬのが当たり前で、天皇陛下のために死ぬのは名誉なことだ、というようなことを言って、自分に都合のいい万葉集の歌なんかを引用して力んでいた。
駅頭の人ごみでは、千人針といって、千人の女の人の手によって縫われた腹巻を作り、それでタマヨケになるという不思議な運動をやっていた。そのすぐ後では、歓呼の声に送られて汽車に乗る出征兵士の姿が見られた。
そうこうしているうちに、僕の好きな菓子が菓子屋から消え、砂糖が配給制になりだした。
僕は、それまで、胃腸も丈夫なズイボで、寝ることも好きで、動きまわったり絵を描いたりして楽しく生きてきた。だから、ここへ来て、死がせまっていることを考えるのは、非常につらいことだった。
(引用 本書P74-75)「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるによる自伝。
著者の見た戦争と戦後を背景に、ガキ大将・落ちこぼれ・戦争・マンガ家、それぞれのステージとシーンで水木しげるはどこでも水木しげるで変わり者だったんだなあというのがよく分かる興味深い内容になっている。面白い存在だからどんな道でも面白い人生として歩むことが出来るのか、人生をユーモラスに彩ることができる才能というものに魅せられる一冊だが、その波瀾万丈の道程は戦争による死への恐怖や貧乏による苦しみなど哀しみにも満ちている。
だからこそ読んでいて面白い、ドラマになるのだ、という面もあるのが皮肉的だが、著者の寝て過ごす方が好きだというその朗らかな幸福観、枠からはみ出る個性と考え方、楽天的な物の捉え方は趣味人的なタイプにとってはとても魅惑的に映るのではないだろうか。読んでいて、死生と自然、祖先、霊、妖怪といったものに対してのロマンを少し共有できたような気になれるのも楽しい。
でも、そんな著者でも貧乏はやっぱり怖いと漫画家として売れ出したら以前の貧困生活に転落しないように我武者羅に働いたということだから、人気商売の辛さ、漫画家の厳しさも窺えるが、当時の日本というものがそういうものだったのかもしれないし、家庭を持つということはそういうことでもあるのだろうが、これが日本の物質的豊かさの原動力でもあるのだろうかなどとも思わせる。
NHKの朝の連続テレビ小説としてドラマ化された「ゲゲゲの女房」で貧困時代を支えた奥さんとの結婚生活にも注目を集めたが、本書ではそちら方面の描写は少ない。奥さんは著者の趣味である軍艦模型作りに参加していたということが書かれている。