忍者ブログ

読んで遊んで沈んだ記憶

主に日記です。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

しんぼる (映画)

しんぼる [DVD]しんぼる [DVD]

メキシコのとある町。家族と幸せに暮らすプロレスラー、エルカルゴマンはいつもと変わらぬ朝を迎えていた。
しかしその日、妻は夫であるエスカルゴマンがいつもとは少し様子が違うことを感じていた。
それは今日の対戦相手がひと回りも年が若く、過激で有名なテキーラ・ジョーだということだけではなく“何かが起こりそう”な妙な胸騒ぎを感じていたからだった。一方、奇妙な水玉のパジャマを着た男は目を覚ますと四方を白い壁に囲まれた部屋に閉じ込められていた。ここが何処なのか?なぜ男はその部屋に閉じ込められたのか?誰の仕業か?途方に暮れる男は、何とかその部屋から出ようと試みるが出口が見当たらない。壁に近づいて触れてみると、男の視線の先に“何か”が現れた…。

(引用 amazon しんぼる [DVD]


2009年の日本映画。松本人志第二回監督作品。
シュールなコント仕立ての脱出劇で、やはり哲学的要素が散りばめられているが、『大日本人』に比べれば娯楽としてわかりやすくなっているし、松本人志の込めた哲学についても考えやすくなっている。

男根中心主義をテーマにしたような作品で、ペニスに支配された白くて四角い部屋に閉じ込められた松本人志がそこからの脱出を試みるわけだが、そのために幾多のペニスをいじる。
ペニスをいじることで多くの物が産み出され、部屋に物が溢れるようになる。それは松本を豊かにさせ、ペニスに支配された閉鎖的な空間に居心地の良さを感じ出すが、ペニスによる支配は細かい配慮が行き届いておらず、時々、松本はペニスによって産み出されるモノに対して不満の感情を顕わにする。
結局、松本は部屋からの脱出を固く誓う。
という、松本をペニス(男性)に対する女性として捉えた見方。

あるいは、白くて四角い清潔な部屋の少年の無垢で幼いペニスは、男性機能が奪われた日本を象徴しており、それをいじってやることで、様々なモノが手に入るものの、無垢なペニスはどこか頼りなく、松本をいらつかせるだけだったという、松本を少年のペニス(日本)に対する大人の男性として捉えた見方が出来た。

いずれにせよ、松本は部屋から脱出する。そして、悟りを開いたかのような、新興宗教の教祖のような、または神のような出で立ちとなった後に、巨大な、だけど無垢な印象のペニスと対峙して、作品は幕を閉じる。
色々な見方が出来ると思うが、ちんちんが世の中を動かしているのだ、ちんちんが世の中を支配しているのだ、というのはどうやら違いなさそう。ちんちんが世の中を動かすべきか、ちんちんが世の中を支配するべきか、ちんちんは大人のものがいいのか子どものものがいいのか、そのあたりは観た人の解釈と価値観で変わりそうだ。

そもそも「しんぼる」なので、ペニス自体がもっと他の何かのメタファーということであるのかもしれないが。

抱くなら愛して (映画)

抱くなら愛して [DVD]抱くなら愛して [DVD]

セレブな生活に憧れる女性が辿る、愛欲と失望に彩られた日々を描いたドラマ。若く美しい女工・シルマラは上流階級の生活を夢見ながら人一倍働き父親を養っていた。そんなある日、彼女は友だちと出掛けたクラブで人気ミュージシャンに見初められる。

(引用 amazon 抱くなら愛して [DVD]


2007年のブラジル映画。
前科者のみすぼらしい父と二人で暮らす美しい娘が主人公。彼女は父親のことを尊敬し、工場で働いて苦しい家計を支える。彼女であり、女性にとって唯一といっていい楽しみとして本作で描かれるのが男性との交際であり、彼女は職場で仲の良い女性たちのグループの中で性的な興味関心を隠そうとせず、周囲と性に対する話題をシェアして楽しむ。

決して性的なことにウブではなく、むしろ、経験が豊富であるという女性像の主人公が、その美しさに目をつけられ、セレブなミュージシャンの男性と関係を持つが、男にとってはただの遊びだったとして、商売女のような扱いを受ける。主人公はその扱いに反発し、自分が愛されないことにショックを受けるが、すぐに立ち直り、違う金持ちとの間に新しい恋を見つける。しかし、同じ事の繰り返しになる。

そんな女と男のやりとりを描いて、どう思うかを問いかけているような作品だった。間延びした冗長な作りだったが、テーマとしては面白かった。

女の強さと哀しさが、女の性を「減るもの」「消費されるもの」として扱う男性社会のスティグマを逆手にとって語られていた。

ゲゲゲの女房 (映画)

ゲゲゲの女房 [DVD]ゲゲゲの女房 [DVD]

水木しげるの妻・武良布枝の貧しく厳しい時代に生きた夫婦の姿を綴った自伝エッセイを映画化!お見合いからわずか5日で結婚。昭和36年、出雲の安来から上京した布枝が見たのは、花の東京とは無縁のしげるの底なしの貧乏暮らしだった…。監督は『私は猫ストーカー』で絶大な支持を得た鈴木卓爾。出演者は吹石一恵、宮藤官九郎ほか。

(引用 amazon ゲゲゲの女房 [DVD]


2010年の日本映画。
水木しげるの妻である武良布枝による同名の自伝を映画化した作品。
NHKの連続テレビ小説では布枝役に松下奈緒、茂役に向井理という美男美女の華やかなキャスティングだったのに対して、本作映画版では、布枝役に薄幸な雰囲気漂う吹石一恵、茂役に昭和と貧しさとみすぼらしさの似合う宮藤官九郎で、ビジュアル的には写真で見た実際の水木しげる夫妻にかなり近い。

作品のつくりもNHKドラマと本作映画ではキャスティングの違いが色濃く反映されたものになっている。
NHKドラマが貧しくてもくじけない糟糠の妻のひたむきな姿勢と健気さを、近い将来に待つ成功という既定路線を窺わせながら希望の光で照らす、朝のドラマにふさわしい爽やかなものに仕立てられていたのに対し、本作では陰鬱な貧乏生活の中にまるで人身売買のような格好で放り込まれた主人公布枝のやるせなさを、感情をうまく外に出せない不器用なやりとりの中で垣間見せる表情の変化としぐさに愛情と哀愁を帯びたものを表現しながら、淡々と描き続けている。

そういう暗さのある作品で、昭和のもてない男ともてない女の貧乏暮らしというテーマにおいてはリアリティと迫力があったと思う。そして、その貧乏生活だけが本作では描かれており、ようやく成功の兆しが見えたところで幕を閉じる。
ここが意外だった。ゲゲゲの女房は原作でもNHKドラマでも、貧乏暮らしの時の濃密な夫婦の時間と、水木しげるが漫画家として成功して物質的豊かさを得ると、それと引換えに家族の時間が奪われ、夫婦のすれ違いが起きていくという対比も魅力だったからだ。

成功してからの夫婦を描かなかったのは尺の都合もあったのだろうが、貧乏時代とのわかりやすくて欺瞞に満ちたような対比をしたくなかったなどの理由があるのかもしれない。
だから、貧乏時代だけを迫真にこだわって作ったのか。切り取り方で作品がこんなに変わるという見せ方をしたかったのか。
僕は、成功していない将来をあえて考えさせる作りにしたかったんじゃないかと思った。原作ではどんなに麗しいことを云ってもやはり最終的には成功して富も名誉も得ることが出来ているし、「ゲゲゲの女房」という作品の存在も成功があってこそだ。そこであえて、貧乏生活を苛烈に描いたうえで、あなたはこのまま水木しげるが漫画家として成功せずに貧乏なままでも主人公布枝は幸せだと思いますか、という問いかけをしたかったのではないかと感じた。
その意味で、僕はこの作品に共感した。僕が原作を読んだ時に抱いた感想が、この作品が投げかけるものと同じものだからだ。

大日本人 (映画)

大日本人 通常盤 [DVD]大日本人 通常盤 [DVD]

大佐藤大(だいさとうまさる)は”獣”(じゅう)と呼ばれる巨大生物を退治する「大日本人」である。彼の家系は代々日本国内に時折出現する獣の退治を家業としており、彼はその6代目に当たる。映画は大佐藤がテレビ局の密着取材を受けつつ獣退治をする日々を送っている姿からはじまっていく。
しかしかつてと違って大日本人に対する世間の風当たりは強く、軍備の整った現代においては不要であると唱える者も出る始末。プライベートにおいても妻との別居、跡取問題、かつての英雄である祖父(4代目)の介護問題など悩みの種は多かった。
苦境に立たされながらも獣退治を続ける大佐藤だったが獣退治中に突如現れた赤い獣の圧倒的な強さに恐れおののき、逃亡をしてしまう。過去に確認されたことのないその獣は日本のものではないということしかわからない。大佐藤が逃亡する姿を映したテレビ放送は皮肉にも高視聴率を獲得した。取材ディレクターは再戦を要請するが大佐藤は乗り気ではなかった。その後も度重なるアクシデントで国民の反感をかい、大佐藤は窮地に立たされていくのであった。

(引用 Wikipedia 大日本人


2007年の日本映画。
松本人志の初監督作品。主演も務めている。

松本人志は大変な映画通らしく、元々映画での表現に興味があったということなのだろうが、著書『遺書』で綴られていた若き頃の主張では、自分はあくまでお笑い一本で、その他のしみったれた行為で稼ぐ芸人にはなりたくないというプライドの高さが表れていた。

その彼が歳月を経て、映画作品に監督兼主演として挑むのだから、それは勿論、過去の言動と比べた時の羞恥があったのだろう。本作はそんな彼の過去のお笑い芸人としてのプライドを自虐したような内容になっている。

メディアからの密着取材を受ける形で、主人公とそれに関わる人々のコメントを劇中内のカメラを通して拾いながら物語が進行するという、メタなスタイルが取られている。
これにより、カメラを意識した表情の硬さを演出しながら、人については曖昧でどこまでも演技であることが強調されており、一方で、取材側が無神経に抉り出す実態というものに対しては露骨に滲み出る惨めさとして真実味を与えている。

大日本人となって日本を救う役割を家業としてきた主人公が、時代に必要とされず、大日本人として良い時代だった昔と落ちぶれた現状を対比させており、これは、ビートたけしの『TAKESHIS'』のような、もしも芸人として売れてなかったらというもう一人の自分の想定でもあり、過去のプライドの高い勢いある若手お笑い芸人だった頃の自分と年と共に分別がつき過ぎてお笑い芸人としての感性が鈍りつつある自分、あるいは世間こそが松本を粗野で古臭く暴力的なものと見做すおかしな感性になりつつあるという事への反抗のようでもあった。
お茶の間と「弱者」に愛されるウルトラマン的なヒーローが本作の敵役である獣と呼ばれる存在に容赦のない集団暴行を加えるシーンは象徴的だった。

ただ、一本の映画作品としては、一つ一つのシーンには松ちゃんらしいシュールなコント的やりとりと流れが存在するものの、インパクトの弱さがこだわりを持ちすぎていて、退屈で辛い。ツッコミのない、ポリシーのあるボケが延々と垂れ流されており、その締まりのなさが苦しい。誰か俺の頭叩いてみろやという主張が作品に込められていたとしても、本作の弱弱しさではとてもそれに乗る気にはなれはない。

映画けいおん! (映画)

映画 けいおん!  (DVD 初回限定版)映画 けいおん! (DVD 初回限定版)

かきふらい原作の4コマ漫画をアニメ化した人気シリーズの劇場版。卒業を控えた唯たち軽音部3年生は、いつもの気まぐれで卒業旅行を企画。後輩の梓を加えて候補地をクジで決めた結果“ロックの聖地”イギリス・ロンドンへ向かう。

(引用 amazon 映画 けいおん! (DVD 初回限定版)


2011年の日本映画。
軽音部に所属する女子高生達のゆるい日常を描いた人気アニメの劇場版。

本作映画ではロンドンへの卒業旅行前後が描かれている。
テレビアニメ版同様に「けいおん」らしい地に足をつけながら空気を浮つかせた、大きな起伏のないゆるい日常を延々と繰り返し、その中の繋がり、何気ないコミュニケーションであるとか些細な発見や出来事に価値(ユーモア)を見出して共有しながら楽しむというソーシャル・ネットワーキング・サービスが発達・定着した現代を反映させたような、よく云えば他者(視聴者含む)が期待する理想的なロールプレイ、悪く云えば字面的な作りになっており、それでいて共感のセンスがきっちりとユーモラスで「素直」だから、その点ではけいおんファンなら安心して楽しめる出来になっていると思った。

ロンドン旅行という一大イベントもけいおんらしいゆるいノリで、淡々と描写されている。
気になったのは、本作のテーマが間もなく終わる高校生活と残される梓という後輩への思いに設定されており、それが少し重く、映画としてきっちり作ろうとしているから、テレビアニメのけいおんにあった「日常」に比べると行間を意識させようとする意図が多く見え隠れし、それがシーンの冗長感、キレ味の無さに繋がっている。
その意味で、本作はあくまでファン向けなんだろうなと受け取った。
ずっと見守ってきたファンであればこそ、彼女たち放課後ティータイム(とその周辺の人々)が紡ぎ、募らせた、優しい思いの質量をいつもと少し違う映画作品としてしっかり受け止めて楽しむことができるのかな、と。

私の頭の中の消しゴム (映画)

私の頭の中の消しゴム [DVD]私の頭の中の消しゴム [DVD]

社長令嬢のスジンと工事現場で働くチョルス。育った環境の違う二人だが、互いに惹かれ合い結婚する。幸せな日々を送っていた矢先、スジンが若年性アルツハイマー病に侵されていることが判明する。それは徐々に記憶障害が進行し、肉体的な死よりも精神的な死が先に訪れる病気である。日々失われていくスジンの記憶をつなぎ止める術はなく、遂には夫・チョルスの事さえ記憶から消えていく。チョルスは葛藤を覚えながらも、彼女を大きな愛で受け止め、支え尽くす決意をする。

(引用 Wikipedia 私の頭の中の消しゴム


2004年の韓国映画。
2001年に放送されていた日本のドラマ『Pure Soul〜君が僕を忘れても〜』を原作に映画化したものとのこと。

1時間強、主人公とヒロインが出会って結婚するまでのありきたりな恋愛ドラマを見せられ、残り1時間弱から若年性アルツハイマーに蝕まれていくヒロインとそれを支える主人公の信頼と絆が強調される展開になる。
二人の馴れ初めパートが冗長で退屈な上に、後の消しゴムパートを修飾する役割としてうまく機能できてないので若干ちぐはぐなところはあるものの、頭の中の消しゴムによって記憶が消えてゆくという残酷な運命に抗いながら、また受け入れながら、お互いが尊重し合い、強い信頼と愛情で結びついているからこそ、二人それぞれがより重い方向へと覚悟を決めて舵を切っていく展開は切なく感動的だった。

あくまでラブストーリーであることが前提で、綺麗にまとめすぎているし、若年性アルツハイマーも作品としてはあまり重く捉えていない軽薄な感じがあるが、だからこそ、好きな相手から自分という記憶(思い出)が失われていく恐怖と哀愁を比喩的に他のシチュエーションに置き換えて見出す作業が安易に出来、幅広く素朴に共感を得やすいものになっている。

ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー (映画)

ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー [DVD]ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー [DVD]

裕福な家庭で生まれ育った春麗<チュンリー>。しかし、幼い彼女の前で突然、悪漢に父が拉致されてしまい、そのまま父の消息は途絶えてしまう・・・。それから10年後、ピアニストとして成長した春麗だが、母親も亡くなり天涯孤独に・・・。
そんなある日、彼女の前に不思議な男、元<ゲン>が現れる。彼は春麗の父親をさらった、秘密結社《シャドルー》と戦い、ずっと彼女を見守っていたのだ。元は春麗に「父親は生きている」と告げる。しかし、再会をするには真のストリートファイターとなり、巨大な敵と闘わねばならぬことを…。今、美しきストリートファイターの過酷な運命が幕をあける。

(引用 amazon ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー [DVD]


2009年のアメリカ映画。
カプコンの格闘ゲーム『ストリートファイター』シリーズの女キャラクター春麗を主人公にしたハリウッド実写作品。最近のストリートファイター作品は女キャラも沢山いるが、一番最初にストリートファイター2に女性プレイヤーキャラとして登場したのが春麗で、作品と共に大きな支持を集めた。

映画はその春麗が闘うきっかけになったエピソードを参考に製作されており、ストリートファイター2よりも前の世界を描いたZEROシリーズに時代が設定されている。登場キャラクターも、元やナッシュなど、ZEROの面々が活躍する。
ただ、そういったマニアックな路線を期待させる要素を匂わせながらも、実際は原作をほとんど名義借りしただけのアメリカナイズされた陳腐なサスペンスアクションに堕とされてしまっていた。

ビジュアル的には春麗は凛々しかったが、ゲームにあったチャイナドレスを基調としたデザインなどのユニークで映える服を着ることがなく、インパクトが弱め。実写としてのリアルな世界観を壊さないようにとの配慮なのかもしれないが、アクションシーン含め全体的に原作へのリスペクトを大きく欠いた印象を抱いてしまう出来だったので、原作ファンとしての思い入れと共に楽しむ要素が著しく少なくがっかりさせられた。
他にも、元が若すぎたのと、ベガの威厳の無さが気になった。

好きな、それも日本のゲーム作品がハリウッド映画化されるってすごいことなんだろうけど、その分、作品がすごいしょぼかった時の落胆はなかなかきついものがあるなと改めて思った。映画化決定にあまり期待してはいけませんね。観るまでのワクワク感も映画の楽しみ方の一つではありますし、観た後の落胆もまた楽しみの一つという面もあるのでしょうけども……。

借りぐらしのアリエッティ (映画)

借りぐらしのアリエッティ [DVD]借りぐらしのアリエッティ [DVD]

宮崎駿が企画・脚本を担当、スタジオジブリ最年少の米林宏昌を監督に起用したファンタジーアニメ。人間の世界から少しずつモノを借りてきて床下で生活する“借りぐらし”の小人の少女・アリエッティと人間の少年のひと夏の触れ合いを綴る。

(引用 amazon 借りぐらしのアリエッティ [DVD]


2010年の日本映画。
スタジオジブリのアニメ作品。
「人間に見られてはいけない」の掟のもと、古い屋敷の床下で住んでいた小人の一家。一家は人間の暮らしから少しずつ色々なモノを借りてきて生活をしていた。ある日、屋敷にやってきた新しい住人の少年翔に小人の少女アリエッティは見られてしまう。

初めは種族を超えたありがちなボーイミーツガールであるとか、人間中心主義を戒めるために人間の知らないところでひっそり生活を営む生命(自然)の神秘の比喩としての小人に諭されるドラマだと思っていた。
そういうところもあるのだが、話が進むと意外な方向に向かっていく作品だった。

離婚した両親、病弱な少年、子どもよりも仕事をとる母、少年の世話をするのは祖母と金で雇われた家政婦という人間の世界。
逞しい家父長、夫を尊敬する主婦、両親に大事に育てられ友達がいなくとも感情が豊かな少女のアリエッティという小人の世界。

この二つの世界を対比させ、物質的豊かさと精神的豊かさをトレードオフの関係として描き、人間には小人へ干渉(生活と家庭の破壊)という役割が与えられており、それに対して、小人は人間に見つからないようにと厳しい掟を作り、保守的で閉鎖的な生活を送る。
繁栄を極める人間は自分が中心であるという驕った存在に描かれており、小人達の方が逞しさのある家族中心主義で人として情緒が豊かに作られているが、その実態は小人達は人間の食べ物などを拝借しなければ生きていけない存在で、種として衰退傾向でもある。

このジレンマをうまく用いながら、心優しい病弱な少年という人間と小人の少女の交流が描かれている。二人が出会い、別れ、小人の少女が両親と、人間に頼らず原始的な生活を送ってきた野生児のような少年スピナーと共に新たな住処を求めて旅立つまで、ストーリーの展開のさせ方としては、特に娯楽性に富んでいるわけでもないのだが、紡がれる一つ一つのシーンがどれも計算し尽くされたような意味ありげなもので想像力を掻き起こしてくれるという意味で、よく出来た童話になっていたと思う。

賃金労働者として家事をこなす家政婦を悪どく描いたり、親に愛されず心臓(ハート)が悪い少年という設定からしてそうだが、全体的に作為的過ぎるきらいがある。
失われゆく家庭、古き良き家族観とその温かさと美しさというノスタルジーの喚起に甘えるだけでなく、お互いに対して興味関心を抱き合い、心を通わせるまでになった翔とアリエッティを残酷にも引き離したのもその麗しき家族観であるという、初恋の相手が親の都合で転校していってしまうような物寂しさ、そして、いつかアリエッティは翔とは180度違うタイプのスピナーという少年と結ばれることで小人族の生活を守っていくのだろうかと考えさせられる切ない演出は、社会(掟)というものに対してささやかに抵抗してみても、結局は余計に社会に翻弄される結果を招くという夢のなさが表現されており、そこがジブリらしくないなと感じた。

心霊写真部 弐限目 (映画)

心霊写真部 弐限目 [DVD]心霊写真部 弐限目 [DVD]

2010年の日本映画。
壱限目の続きとして「落ちる女」「うしろの手」「黒いおともだち」の3つのエピソードが収録されている。

前作同様、ライトな若者向けホラーとしてはなかなかスリリングで捻りのある出来になっているものの、若干キレがなく冗長にも感じさせられた。
前作と今作の本編を通して張られていた伏線は結局回収しきれておらず、マスク殺人鬼という存在とは一体何なのか、これまでの心霊現象にどういう風に関わっているのか、謎の女子高生の正体は、そのあたりを仄めかしながらまた次回作以降へと期待させようとしているが、現時点でまだ参限目は製作されていないとのこと。次回作は本当に作られるのだろうか。
本作で決着させる機会はあったように見えたが、そうさせていないところに拍子抜けした。作品のテンポが鈍ったのはどう決着させようか迷いがあったからだろうか。という見方をしてしまう。

心霊写真部 壱限目 (映画)

心霊写真部 壱限目 [DVD]心霊写真部 壱限目 [DVD]

ゲームから映像作品まで手掛けるホラー界のマルチクリエイター・福谷修原作の「心霊写真部」を映像化したシリーズ第1巻。ごくごく普通の生活を送っていた高校生・二宮佳夕は、ふとしたきっかけで写真部に入部するが…。第1話から第3話を収録。

(引用 amazon 心霊写真部 壱限目 [DVD]


2010年の日本映画。
「廃墟できもだめし」「カラオケボックスの顔」「心霊プリクラ」の三つのエピソードが収録されている。
心霊写真部という普通に考えたら新興宗教の学生組織なんじゃないかと疑いかねない怪しさのある高校の部活動を拠点に、エピソード毎に異なるそれぞれの心霊写真からティーンエイジャー(高校生)がオカルト現象に巻き込まれていく様が描かれている。

如何にも低予算作品という苦しさはあるものの、話の筋はよく考えられたものに捻りが効かされていてそれなりに趣深く、演出もベタな恐怖映像を効果的に用いることに成功している。

主演の中村静香はグラビアアイドルとのことだが、なかなかの演技で、作品にうまく溶け込んでいた。やや主張が弱く、脇を固める役者がこちらも若いながらもなかなかの演技で、それでいて個性的であるからその魅力に対抗できず主人公が埋没してしまった感はある。ただ、良い意味で主人公が平凡であるという見方もできる。

自ら進んでわざわざ危機に陥ったり、近くで仲間が苦しんでいるのに思いつきの解決方法を実行するためにその場を何の配慮もなく離れてしまうなど、場面を作り手に都合よく展開させるために登場人物に不可解な行動を無理やりとらせてみたりするホラー映画らしいお約束を細かい点として気にさせてくれるところも含め、よく出来た面白い作品だったと思う。
しかし、続編に期待させようとするミステリアスな伏線が本編通していくつか張られているものの、エピソード毎に完結するドラマの出来が良い反面、伏線は安っぽいラストを想像させるだけの陳腐なものでしかないのがどうかなといったところではある。

ブログ内検索

amazon

PR